「諏訪の海は」

2017.07.16 / 地域を知る / 編集部さん

岡谷市湊。
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諏訪湖の西側、この画像で言うと右側のほうですね。

古くは花岡村と小坂村に分かれていました。
江戸時代には高島藩から明海の時期、つまり氷が張らない期間、諏訪湖での漁業権を与えられていた、3つの村のうちのふたつです。

今は湖岸に沿って県道16号線がとおっていますが、もともとはその西側を並行する「西街道」、県道16号線とはっきり区別するために「旧道」とも呼ばれていますが、そこまでが諏訪湖だったようです。

漁村らしく、旧道沿いにはこんなものも。
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漁に使う道具なんでしょうねえ。
古い村らしい面影もあちこちに残ります。
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超個人的に「湊カーブ」と私が呼んでいる場所。
両側に大きな土蔵が迫り、歩いていると時代を遡るような景色です。

和洋折衷、軒のカーブがカワイイ旧湊郵便局とか、
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大髙正人設計の湊小学校とか。
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湊小学校が現在の位置にやってきたのには長い経過があります。
昭和初期、当時の湊村の人々が湖水を埋め立てて始まった建設には、数々の苦難がありました。
第二次世界大戦には工事は中断、地震で埋立地が陥没したこともあったそうです。
そうして半世紀近くたって、悲願の校舎は昭和48(1973)年にとうとう竣工。
村の人の思いが実ったのでした。

日本建築学会賞を受賞した建築家に設計を依頼しているあたり、その思い入れもひとしおであったとも思います。

さてさて、そんな湊地区を「ブ●タモリ」的に楽しめる一冊。
「知らない諏訪に、出会おう」をフレーズに3冊目が登場しました。
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真澄オンラインショップや諏訪地域の書店さんで、1冊300円で取り扱い中です。
諏訪湖の成り立ちをダイナミックに、そしてマクロな視点でも諏訪湖にクローズアップします。

もっと深く、もっと広く、ここを楽しもう。


(ふり)

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