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池生神社(富士見町池袋地区)
信濃境駅を線路沿いに東へ。
と。
眼下の窪地にとりいがぽつりと見えました。
参道らしきを目線で追うともうひとつの鳥居。
その先の鬱蒼とした森の中にはどうやら神社があるようです。
「…ああ、ここが。」
ここはもともと池があり、その中を参道が通っていたのだそうです。
神社の裏手に国鉄の線路を引いたころ、地下水の流路が変わってしまったのか水は枯れ、ここにその痕跡だけが残りました。
話には聞いていた、ここが。
かつての窪地は畑になっていました。
農家の方がなにか野菜を定植しています。
水がここのたまることはないのか、生えている草も湿地によくみられるようなものではありません。
境内にはソメイヨシノが濃い緑の葉を茂らせ、時々抜ける風で葉擦れの音がします。
春、この花が満開になったら、とても穏やかで美しい景色になるのでしょう。
いけおいじんじゃ、と読みます。
急な石段が社殿に続いています。
石段の両サイドには狛犬。
掘りの深い表情は運慶の作品のように迫力もありつつユーモラス。
うくく!
思わず頬が緩みます。
社殿は本殿ごとすっぽり覆う形で、中の様子はあまりうかがえませんでした。
ただ、社殿の屋根にトタンで作られた四根の梶紋がありました。
池生という聞きなれない神社は、県内にもいくつかあります。
その多くはその名の通り池や水の近くに鎮座し、その土地の神様であったりします。
由緒を書いた案内板を見ると、ここ「池生神社」の神様は諏訪神社上社の5人の神官のうちのひとつの一族、権祝矢島家の祖神だと説明されています。
この矢島家はもともと現在の東信地区からやってきたとされ、六文銭の家紋を持つ、真田氏とのゆかりもある一族といわれます。
はるか昔、八ヶ岳の向こう側からやってきて水のあるこの場所を拠点に土地を開いたのでしょうか。
そしてきっと、この土地の有力者にあったのでしょう。
上社の神官家になるまでに、いったいどのような歴史があったのか、想像は巡ります。
現地の石碑の裏側に諏訪大社の三輪宮司さん(故人)が記した一文には
御神体は美しき石斧なり
この土地を開拓した象徴なのか、いまもきっと氏子のみなさんが大切にしていると思うのです。
見てみたいなあ。
(ふりはた)