八劔神社の御柱祭と御遷宮 (諏訪市小和田)

2016.09.15 / 地域を知る / 編集部さん

上諏訪のあちこちで、小宮の御柱祭のお知らせが貼られています。
上諏訪は、小宮といえども大きめのお宮がいくつもあって、ほぼ同じようなスケジュールで区民総出の御柱祭をします。
ホラ、まちなかの掲示板にはこんなスケジュールが。
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これは…街なかはエライ騒ぎになるに違いありません。
まちじゅうが祝祭ムード、お祭り騒ぎ。
「観光にしないのか」というお声も聞きますが、おもてなしする側がいないほど区民総出になることや「よそのひとのなめにやってることじゃあねえで」という、いかにも諏訪人らしい気質があるようです。

さて。
諏訪市小和田地区の八劔神社もここに含まれます。
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八劔神社はいつからあるのかよくわからないほどの古社です。
古くは今の高島城があるところにあった「高島村」にあったつまりは村人の産土様「高島鎮守」であったといわれ、高島城を作るために高島村が小和田へ引っ越した時に何回かの遷座を経て、この場所に造営されたといわれています。

その社殿配置は、諏訪の中のいわゆる“産土様”の割にはちょっと特殊です。
拝殿の奥に2つの建物、本殿と権殿を持つようなスタイル。
ご神体は今でもこの2つの建物を行ったり来たりします。
これって…上社・下社でも行われる宝殿遷座祭に似ていませんか…?

かつて八劔神社の本殿は藩主によって御柱年に作り替えられて(御造営)いました。
そのため、本殿からご神体を権殿(仮の本殿)にお遷しし、本殿が完成したらお戻りいただくという「御遷宮」をしていました。
そのお祝いに小和田地区は大いに地区内を飾り付け、昭和19年までは「飾り物」と称した20メートルもあろうかという大きなお飾りを棹やはぜ棒、木の枝などをつかって作り上げていました。
それは物語の一場面であることが多かったようです。

今年、熱心な宮司さんと氏子衆の熱意で神楽殿に飾り物が登場しました。
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信玄にほれ込んだ八重垣姫が、信玄を助けたい思いのあまりに凍った諏訪湖を「法性の兜」をかざしてわたるという「本朝廿四孝」という歌舞伎の一場面を再現しました。
背景の山並みは現代美術の一人者、宮坂了作氏というスペシャルな作品です。
これはぜひ、現地でご覧いただきたいですっ!!!

9月18日の山出しを前に、小和田地区は既に賑々しく飾り付けられています。
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個人の家の前には、灯籠。
灯籠のデザインも通りによって違うようです。
新小路は絵の達者な方がいると見えて、なかなか趣深い灯籠が並んでいます。
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表情があって楽しいですねえ。

通りごとに提灯も下げられます。
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北小路。
雨よけのためのビニールが付いているところがちょっと風流を削ぎますが…
梶の紋入りのカラフルな提灯。

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新小路。
夕方になると灯が入ります。
なかなか幻想的でいいなあ。

さあ、いよいよ18日は山出し。
里曳きは9月25日。
今週来週と、上諏訪の町内は熱気であふれます。
見学自由、きっと大社さんの御柱よりざっくばらん、きっとお振る舞い酒にもありつける小宮祭。
自動車はおうちに置いて、見学に行っちゃいましょう!

※見学はスニーカーなどの歩きやすい靴で。
必ず氏子や役員さんの指示に従ってお楽しみください。
けが人が出ることは祭りに参加している誰もが悲しむことです。
誰もが楽しくよき時間を共有できるように、ご協力ください。

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