諏訪大社下社宝殿遷座祭 (下諏訪町)

2016.05.17 / 地域を知る / 編集部さん

「御柱祭は氏子の祭り」と言われます。
氏子が“自主的に”奉仕するという一面を持ち合わせていますが、

もちろん諏訪大社が主になり執り行う神事もいくつかあります。

その中の最重要ともされるのが宝殿遷座祭。
宝殿に納められているご神宝を新しい宝殿に遷す神事です。

春宮の幣拝殿ごしに見える同じ形の二つの建物。
これが宝殿。
画像の右側が東宝殿。
左側が今年建てられ前日に葺合祭(ふきあえさい)を終えたばかりの西宝殿。
今回は東宝殿から西宝殿に御神宝が遷されます。

氏子がこぞって大騒ぎで巨木を建てるという行為がクローズアップされますが、
お宮にとってはこの宝殿遷座祭こそが最重要の祭りです。

下社は里曳きに先立ち、5月13日に執り行われました。

祭りは夜、暗闇の中で行われます。

19:50、触れ太鼓の音がなりました。
神事開始の10分前の合図です。

20:00、斎館を出発した一行が提灯を掲げた神職に先導されて参道をやってきます。

参列者は宮司、権禰宜などの神職のほかに、大総代、巫女、そして特別崇敬者。
そして神楽殿手前付近にしつらえられた祭壇で修祓式を行います。

そして神職は片拝殿の左、つまり西宝殿側に座し、参列者は片拝殿の下に着席しました。

宮司一拝し、神事が始まりました。
ほとんどは幣拝殿の向こう、しかも灯りの落とされた御庭(みにわ)で行われています。
私のいる左片拝殿前からは人影が行き来しているらしいことしか見えません。
それでも境内に式次第がアナウンスされるので、暗闇の向こうの様子を想像しながら見学します。

旧宝殿(今回は東宝殿)が開扉、参列者に「お頭をお下げください」指示があり、
奏楽と「おー」という低い声の警蹕(けいひつ)のあと、宮司が「遷御(せんぎょ)の祝詞」を奏上します。
その後「ご神宝奉遷、お召立て」とアナウンスがあり、
担当するご神宝の名称のあと何人かの神職が呼ばれ御庭に入っていきました。

「遷御」
と、アナウンスのあと、いくつかの灯籠のあかり以外はすべて消されました。
参列者には灯りのつくものは使用しないよう指示がありました。
そして「遷御の儀、召し立て」ののち

・ひのみほこ(日の御鉾?)
・陰灯
・第一御霊代
・第二御霊代
・御幣束
・陰灯
・つきのみほこ (月の御鉾?)

と、遷御の順番にアナウンスがあり、奏楽と「お~ぉ」と警蹕 のなか、
東宝殿から西宝殿にご神宝が遷されます。

やがて警蹕の声が止み、再び灯りがともりました。
神饌が供えられ、宮司により鎮座の祝詞が奏上。
小野神社と建国神社(ともに塩尻市) の宮司、神社本庁からの神職(本庁使)が祝詞をあげ、
大総代や特別崇敬者が玉ぐしを捧げました。
そして神饌をさげ、宮司は西宝殿の扉を閉じます。
そして、それまでとは違う音での警蹕。
「よーーーーぉ」
と、3回声がして21:20に神事のすべてが 終了しました。

しかし、そのほとんどは闇の中。

参列者の記念撮影後、人もまばらになった幣拝殿からなかをのぞくと
御庭には両宝殿を渡す白い布を敷いた渡り廊下が 見えました。

さて、宝殿遷座祭は下社だけでで行われるものではありません。
上社は2016年6月15日に本宮で行われます。
下社が夜の闇の中で行うのに対し、上社は日中の祭祀となります。

こちらもお宮にとっては最重要ともいえる神事です。
見学の際には参拝のマナーを守り、神職の指示に従うようお願いいたします。

この記事につけられたタグ

| |