柳川橋 (茅野市泉野)

2016.07.31 / 地域を知る / 編集部さん

高原ドライブの帰り道、ちょっとデキゴコロで集落の横道に入った結果、どこをどう走ったのか、 県道186号線(通称:上槻木線)に出ました。

柳川が削った谷の上を、エコーラインの槻木大橋(つきのきおおはし)が通っています。
高速道路のような高くて大きな橋梁。

その下、柳川にかかる、車両通行止めの古びた橋がありました。

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「柳川橋」
やながわばし、と読むと思われます
コンクリートも剥落してボロボロです。

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通常、親柱に取り付けられている竣工年や河川名が記されたプレートは、橋名を記したものを除き、3つが無くなっていました。
ごらんのとおり、橋の高欄のコンクリートもすっかり落ちて、中の鉄骨がむき出しです。
冬季間のきびしい冷え込み、橋に付いたりしみこんだりした水が凍ったり融けたりを繰り返し、コンクリートの劣化を早めたかもしれません。

おそらく補修される予定はないのでしょう。
ヒトすら通ることが危なくなったら、きっと全面通行止めになり、予算が付いたら取り壊しとなる運命です。

気になるのは…この親柱のデザイン…。
そう!
先日ご紹介した「上川橋」の親柱の尖塔部分に似ているような感じです。
よく見ると、橋脚もよく似ています。

調べると、1956(昭和31)年7月完成、という資料がありました。
戦後の資材不足の中、少ない資材で作ることができたコンクリートローゼ桁はここでも採用されたかもしれません。
この当時、コンクリートローゼ桁橋を考案した中島武技師は既に内務省から異動をし、この柳川橋の建設に直接携わることはなかったと思われますが、彼の設計は受け継がれて昭和40年代半ばころまで、この構造の橋は長野県内あちこちで作られていたようです。

モデルが上川橋であったならドラマチックだなあと、もうちょっと調べを進めたうえで再訪してみたい橋です。(草ぼうぼうじゃない時期にね!)

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