達屋酢蔵神社 (茅野市横内)

2016.08.14 / 地域を知る / 編集部さん

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茅野駅の西側にある、諏訪大社参道入り口の大きな鳥居をくぐって、坂道を下り、つらつら歩いてゆくと、国道20号線にぶつかる少し手前に…
一瞬、何と読むのか戸惑う神社…。

「たつやすくら」と読みます。
達屋神社と酢蔵神社が合祀されています。

境内の解説版を見ると、複雑なご祭神の変遷があるようです。

「達屋」は「館屋」、つまり客人をお迎えする場。
大己貴神(おおなむち)は大国主命の異名として扱われます。
「因幡の白兎」などの神話でおなじみの大国主命の名がここにあることに、ここへ迎えられた「客人」はいったいどんな人物だったのかということが気にかかります。
そしてこの「館」の字に「立」「建」などの様々な当て字がなされ、それには建築という意味合いも見出されるようになり、建築の神様である手置帆負命(たおきほひのみこと)と彦狭知命(ひこさちのみこと)を祀るようになったとあります。
「屋」にも「矢」の字が当てられ「楯矢」とも表記されたときもあるようです。
ところで、神長官守矢家のもつ文書の中に、この達屋社のご祭神を「天白(てんぱく)」とする文章があったりするので、ここはますます混沌とするところです。

「酢蔵」の「酢」は、食糧庫を表す「簀(す)」が、当て字の「酢」「「酒(しゅ→す?)」「須」に置き換わり、現在の「酢」になったといわれています。
食糧庫だけ、ぽんとそこには存在しえないので、何か別の建築物に付随してあったものとされます。
ご祭神とされる八意思兼命(やいおもいかねのみこと)は、ネットで調べると“知恵や学問の神様”とされていますが、一方で建築の神様とされる面もあり、これは達屋社の影響を強く感じさせます。

この両社がいつごろこの地に御鎮座したかは定かではありません。
ただ神長官守矢家の文書のなかに
・桓武天皇の時代に造営を定めた
とあるので、9世紀初めにはこの神社は存在したようです。

そして特筆すべきは、この達屋酢蔵社の御柱の御用材は、八ヶ岳の御小屋山にある上社御柱の御用林に隣接した特別の森から曳きだすことが許されていること。
これは、諏訪の中でも唯一で、この社の特権ともいえることでしょう。
古社中の古社、そして諏訪大社とのなんらかの強いつながりをうかがわずにはいられません。

そんな達屋酢蔵社の御柱は立派な大きさ。
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※これは6月訪問した際にみた休められた古御柱ですが、堂々たるや。

達屋酢蔵社の小宮御柱祭は、山出しが8月28日、里曳きが9月11日。
真新しい達屋酢蔵社の御柱、もうすぐお目見えです。

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