お舟祭り (下諏訪町)

2016.07.21 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪大社下社には、上社にはない「お舟祭り」と呼ばれるお祭りがあります。
下社の一年間の中で最も大きなお祭りです。
毎年8月1日、前日には宵祭りがあり、町中はお祭りモードになります。

諏訪大社下社は、季節によりご神体が春宮と秋宮を行き来する遷座祭があります。
2月1日には秋宮から春宮へ。
時には雪が舞う厳寒期、宮司をはじめ神職や大総代、神宝などの行列が組まれ、御霊代(みたましろ)を載せた神輿が八幡坂(通称:大社通り)を下ります。
そして魁町(さきがけちょう)を経由し、春宮大門の鳥居をくぐって、下馬橋を渡り、春宮の宝殿に遷られます。

そして8月1日にはこの逆の順路で春宮から秋宮へ。

ただし、2月の遷座祭と大きく異なるのはこの8月の遷座祭は舟の形を模したような大きな「柴舟」が「御頭郷(おんとうごう)※」の氏子に曳かれて、この遷座祭の行列の後ろに続くこと。
御柱祭の時のような威勢のいい掛け声と、沿道には神賑わい。
美しい姫が従える時代行列に、たくさんの長持ちが町中を練り歩きます。

※御頭郷(おんとうごう)
その年の諏訪大社の神事に奉仕する地区。
かつては年初めの占いで決定されていたが、現在は諏訪地方6市町村内の地区を10のグループに分けて年ごとの当番制となっている。つまり10年に1回、御頭郷が回ってくる。

大きな柴舟はかつては下諏訪町の村々や湯川村(現在の茅野市北山湯川地区)の氏子の奉仕で制作されましたが、現在は有志で構成される保存会メンバーが春宮境内で作ります。
その大きさは、全長約10メートル、重さは2.5トンともいわれ、船の両端には「翁(おきな)・媼(おうな)」と呼ばれる老男女の人形が向い合せに取り付けられます。

<制作途中のお舟>
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(平成25年7月30日のもの。既に土台となる形は完成している。奥に見える木の枝の束はこれからお舟に取り付ける。その後、赤・紫・白・緑・黄の5色の布で覆われる。)

「お舟」といっても上社御柱祭里曳きで登場した御柱迎えの「お舟」とは全く構造が違うことも、興味を惹かれるところです。

サテ。
今年の御頭郷は茅野市のちの・宮川地区。
茅野市の氏子衆が下諏訪まで出張して奉仕します。
応援に行かなくっちゃ!

ので、お舟祭り当日の様子も少々。

画像は2012年のもの、ちょっと古めであることをご容赦くださいませ。

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2012(平成24)年、原村・本郷・境の各地区が御頭郷です。
お舟の上には氏子衆。
そしてお舟の四隅には白丁姿で烏帽子をかぶった男性がひとりずつ。
この烏帽子の人物たちは一切言葉を発してはならないのだそうです。

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曳行の様子は御柱祭りさながら。
「ヨイサ!ヨイサ!」と男衆の威勢のいい掛け声が沿道を埋め尽くします。

大社通りの交差点(通称:四つ角)で3周開店するのが慣例。
祭りの盛り上げどころです。
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そして大社通りのセブンイレブン前で、横倒しにして起こすことを3回繰り返します。
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坂を上がりきったところで、境内に入り、神楽殿を3周してお舟はいったんストップ。
その後ほどなくお舟は解体され、翁・媼は秋宮からほどちかい内御霊戸社(うちみたまどしゃ)に運ばれ、焼却されます。

この「遷座祭」はとっても不思議なことがつまっています。

どうして下社には毎年、半年ごとに遷座祭があるのか
2月の遷座祭をひっそりと行うのに対して、8月はどうしてこんなに賑々しいのか。
柴舟にはどうして老男女の人形を乗せるのか
お舟の四隅に座る烏帽子の人物たちは、なぜしゃべったり笑ったりしてはならないのか
大社通りの交差点付近でで時計まわりに3回まわったり、お舟を倒してみたりするのはなぜか
どうして神楽殿のまわりを3周するのか
使った柴舟をその日のうちに解体して、翁・媼を焼いてしまうのはなぜか。
そして、いったいこの遷座祭の成立過程はどうなっているのか。

お祭りに潜んだ謎はいったい何を意味するのか
興味深いところです。

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