旧岡谷上水道集水溝 (岡谷市)

2020.12.13 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪地域の上水道整備は、諏訪湖周から始まりました。
最も早かったのは下諏訪町の「湯田仲町水道」(明治41年)、その後町営水道が昭和2年に給水を開始します。
時期を同じくして、平野村(現在の岡谷市岡谷区)でも「岡谷上水道」が給水を開始します。
製糸業全盛、飲料水としても工業用水としても、水の供給は地域の大きな課題でした。
上水道整備の準備は大正時代中期に始められ、大正9年の腸チフスの流行も相まり、清潔な水が求められていました。

その「岡谷上水道」の施設が現存しています。
訪ねてみました。
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場所は廃校・解体となった岡谷小学校の上あたり。
滝ノ沢水源といいました。
急な坂道をえいやえいやと上った先に案内標識があります。

溝は水路です。
かつてはここを、どうどうと湧き水が流れていたようです。
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鬱蒼とした森…ちょっと心細くなる…のですが、じつはちょろっと見えています。
200mほど、水路沿いに進みます。
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赤い鉄扉のついた、石造りの建造物。
昭和2年10月竣工の上水道集水溝です。
昭和3年3月末給水を開始、以降昭和63年まで利用され続けてきました。
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上部にはモダンなデザインの換気口が5つあります。

古くからここに水利権を持っていたのは、地元のひととそして照光寺。
何と照光寺はこの滝ノ沢水源について半分の水利権を持ちつつ、他の水源についても権利を持っていたという非常に大きな権利者でした。

この滝ノ沢水源の湧水は1600ℓ/分という豊かな水量を誇り、市街地に水を供給していました。この岡谷上水道は戦後、市内の水道事業に統合、水利権も移管することになります。
…が、いまはその水が見当たりません。
「豊かだ」という湧水はどこにいってしまったのでしょう…。

傍らに添えられた「宗教法人十五社」の案内板にその答えがありました。

「この滝ノ沢湧水は中央自動車道長野線岡谷トンネルの掘削により枯渇し、昭和63年廃止を余儀なくされた。」

なんと、この滝ノ沢水源の山を貫通する中央自動車道の岡谷トンネルの掘削により、水が枯れてしまったのです。
岡谷トンネルの掘削が計画されたときに、既に建設済みであった中央東線の塩嶺トンネルの工事の際に市内の井戸や湧水が枯渇した例が挙げられ、地質調査の結果、トンネル掘削時に大量の出水があること、そしておそらく滝ノ沢の水も枯れるであろうことが予測されていました。
そこで日本道路公団(当時)は代替の水源を確保し、地域の了承を何とか取り付け岡谷トンネルの工事に着手。
その工事の最中、予測通り滝ノ沢水源は枯れてしまいました。

水道施設として役目を終えたこの岡谷上水道集水溝は、岡谷市水道局から山の持ち主である宗教法人十五社へ所有が移されました。
かつて豊かできれいな水が人々の暮らしを潤していた証として、そして「シルク岡谷」を象徴する産業遺構として保存されています。

枯れてしまった水は、予測通りトンネル内部で出水。
そして今もその水は出続けています。
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水の出口はなんと、中央自動車道高架橋の下。
草に覆われた水路に耳を澄ませるとどうどうと流れ下る水音が聞こえてきます。
本来であれば、水道水として利用されていた湧水。
『照光寺誌』には「ただ天竜川へ排水されている」という無念さに滲んだ一文がありました。

そういえば、上水道集水溝の奥に、目立たないけれど丁寧に手入れの行き届いた神社があります。
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ついさっき掃き清められたかのように落ち葉が除かれ、御柱もあります。
この「滝ノ沢権現社」は岡谷十五社の氏子のみなさんの管理です。
きっとこれから新年に向けて注連縄も張り替えられるのでしょう。
長い間、この沢の水を見守り続けた神さま。
水の枯れた沢をどのような思いで見つめられておられるのでしょうか。
(ふり)

※周辺に専用の駐車場はありません。路肩等への駐車は地域のみなさんのご迷惑にならないように十分にご配慮ください。

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