ドックの痕跡 (岡谷市)

2020.06.17 / 地域を知る / 編集部さん

4月のある日。
地元紙の記事に目が留まりました。

それは諏訪湖の出口のちかくの天竜川河畔の景色。
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写真の中央部やや右寄り。
台形の大きな構造物。
記事を読むと、岡谷駅から線路を延長し、天竜川河畔に石炭を運び、船に載せかえるために利用されたドックだと書いてあります。

1905(明治38)年、多くの製糸家からの期待高く、鉄道が岡谷駅まで開通。
天竜川沿いには、水力を利用して多くの製糸工場がすでに建ち並んでいました。
製糸に水は欠かせませんが、工場の動力には石炭も欠かせません。
岡谷駅には工場稼働に必要となる石炭が大量に運び込まれます。
鉄道を通じた輸送力が格段に上がることで製糸業の益々の発展を見越した製糸王・片倉兼太郎は、この石炭を効率よく河畔の工場に配送するために自ら投資し、同年、岡谷駅から天竜川の河畔まで線路を敷き、天竜川を行き来できる輸送船を着けることのできるドッグを建設したというのです。

新聞記事にはその場所を「岡谷駅裏の西友あたり」とし、「石垣の一部が残る」としています。
ちょっと見たくなるじゃありませんか、ドック。

とゆーわけで、岡谷駅近くの「西友岡谷南店」まで来たものの…。
対岸の橋から観察します。
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…うーん…??
石垣って、アレかなあ??
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…うん??

と、釈然とせず。
道路から線路痕が追えるかと思いましたが、岡谷駅南側は区画整理が行われて、かつての軌道が追いにくくなっているのでした。

そんなところにタイムリーに、岡谷蚕糸博物館で「運ぶ。」と題した企画展が開催中。
しかも新型コロナウイルス感染症による休館もあったため、5月24日までだった会期が10月25日まで延長!

なにかヒントがあるにちがいない!と、いそいそと出かけてきました。

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常設展の奥、特別展示室では製糸業にまつわる「運ぶ。」をテーマに、展示物が並びます。
繭をトラックで運ぶ風景、繭用に特化されたカゴ。
輸出の際に生糸につけられたラベル(生糸商票)。
デザイン性高く、「諏訪」とか「岡谷」より「信州」が強調されているものが多いのが印象的でした。
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こちらはユニークに、カエル(しかもこれはヒキガエル??)
「鵞湖(がこ)」というのは中国の美しい湖になぞらえた諏訪湖の美称です。
その文字が入ったラベルに「がこ」ならぬ「ゲコ」がついているのは何かのユーモアなのでしょうかねえ…。

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漢字では「大日本信濃國」と表記しながら、英語では「SHINSHU」とか。
七曜星社は下諏訪町の中山道沿いに土蔵が今も残されています。

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絵本チックなイラスト。(なぜキリンなのだろう。「SASUKO」ってなんだろう)

ほかにも女工さんたちの帰省土産とか。
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文房具や菓子、化粧品などが多かったようです。
いずれも駅や工場付近の店舗で販売されていたもののようです。
「信州産」「諏訪産」にこだわったものでなく、地元で手に入りにくいものやちょっとした贅沢品などを土産としたようです。

おっと、肝心なドックについては…ありましたよ、地図が。
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1913(大正2)年発行の「岡谷附近明細図」
岡谷駅から製糸工場へ何本か延びる軌道。
そのうちのひとつが行き着く先に「天龍舩渠會社」と記された四角い一角。
これが例のドックです。
ドックの対岸には花岡区と橋原区の境界を示す点線が書き込まれています。
この点線のやや右(東)側が現在橋が架かっているあたりです。
すると、やはりドックは私が写真を撮ったあの辺りなのかもしれません。
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展示室にはドックの写る大きな写真。
ドックの背後には岡谷駅。
その大きさに当時の繁栄を見せつけられます。
(ふり)

推定ドッグ痕跡はこちら↓

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