後山の道祖神 (諏訪市湖南後山地区)

2019.01.27 / 地域を知る / 編集部さん

有賀峠をの頂上付近から伸びる道。
くねくねと山道をたどるといくつかの集落に出くわします。
箕輪町との境目にある、後山(うしろやま)という地区は、江戸時代の新田開発の時代に開かれた集落です。
諏訪地域の集落の中では比較的新しい集落です。

しかしながら、地区内では縄文早期・中期の石器、鉄鏃などの発見もあり、早い段階から人の行き来があったようです。

地区の多くは農業を営み、軒下には燃料用と思われる薪。
自動車の利用がごく普通になったいまでも、市街地から離れたここでは、昔ながらの暮らしが垣間見えます。
そう、何かあっても市街地のように「不便があったら買えばいい」という暮らしではないのです。

その後山地区の中心部に近い一角。
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石造物が集められています。
左から、豊受比売命(食物・穀物をつかさどる神)、南無阿弥陀仏、庚申塔、そして双体道祖神。

おや、道祖神はだいぶ特徴的です。
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睦まじく寄り添い手を添えて。
表情が周辺に比べてくっきりしているのは、修復が施されているのでしょうか。
文政5年3月と刻まれているほかに、数々の縁起物が道祖神の周りを囲みます。
宝袋、小槌、笠…
あまり見ないスタイルです。

山の谷あいの集落ですが、伊那谷と諏訪を結ぶ交通の要所でもあった後山。
道行く人を見守る神様たちの和やかな様子は、きっと心穏やかになるものであったでしょう。

<おまけ>
通りがかりにかつての分校をのぞいてみました。
もう、更地になってしまったはずです。
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あんなとこに学校なんてあったんだ、と思うくらい小さな敷地に見えてしまいました。

給食室付近だったところの石垣が積み直されています。

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こんな大きな建物があったのになあ…。

(ふり)

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