折橋子之社の社殿 (茅野市)

2018.10.21 / 地域を知る / 編集部さん

「メルヘン街道」と愛称のつけられた国道299号線をたどると、「糸萱(いとがや)」という集落があります。諏訪から佐久方面に抜ける貴重な交通路でもあります。
ある日、所用で訪れたこの地区の斜面の下、鬱蒼とした暗い沢沿いにどうやら神社があることに気が付きました。
気になりつつも足を運ぶのが遅れ、先日やっと訪問することができました。
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階段をどーっとのぼる参道はよく見かけますが、こちらの神社はだーっと下ります。
へえー、おもしろいねえ。
鳥居の右に見えるのは手水舎。
鳥居の延長線上に社殿が見えません…おや?
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社殿はなんと鳥居をくぐって左へ90℃の方向。
周りより低い、川沿いに御鎮座。
なにか事情がありそうです。
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眼がこぼれ出そうなほど見開いた狛犬。
どこの狛犬も味わい深い表情をしていますが、ここも個性的ですねえ。
がしっとした前足が力強いですな。

社殿をのぞき込むと本殿が、そしてかつての寄付者の名が掲げられていました
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社殿内が暗いため判別しにくいものの、金額や記される名から推察するに、この寄付者名簿はどうやら昭和初期頃もののようです。

帰宅して、折橋子之社のことを少し調べてみると、意外なことが知りました。
なんと社殿が諏訪社上社前宮の「精進屋」の移築であるというのです。
平成23(2011)年に発行された『糸萱区誌』で、もうちょっと詳しく見てみましょう。

昭和7(1932)年、上社前宮の精進屋が伊勢神宮建築の用材で建て替えられることとなりました。そこで、精進屋は解体となります。
この解体された精進屋の材を折橋子之社の社殿用に払い下げてもらうことになったのです。
その決定は驚くほどスピーディーでした。

糸萱の産土神であった折橋子之社はもともと近くの芹ケ沢地区の飛岡子之社から勧請されたものでした。
そして社殿がなく、小さな祠が鎮座するのみであったようです。
そこで、この産土様にお社を、ということになりました。
昭和8(1933)年1月10日、区の総会で予算を設け、その範囲内であれば前宮の精進屋をもらい受け折橋子之社の社殿を新築するということが決まりました。
その約一週間後の1月18日、区長以下計11名で区を出発、前宮を参拝し実物を視察。
同行した大工にだいたいの見積額を確認し、購入を決定。
その日のうちに払い下げの手続きに汽車で下諏訪町に移動、担当の下社宮司を訪ね、払い下げ金額を決定。午後11時ころに区に戻っています。
翌日19日、金の工面について研究し、1月22日は区総会で社殿建設が決定。
同年5月8日には竣工式、例祭、そして区恒例の公園祭りが同時に執り行われています。
村中総出で盛大に催しものがなされたようでした。
鬱蒼と見えた社叢も先だって行われた上棟式の際に植樹されたヒノキやモミの木だったのです。

前宮の精進屋は長く本殿として使われ、当時の前宮の建物の中でも古い方のもののようでした。
さらに精進屋が諏訪社前宮のご祭神建御名方神と八坂刀売神の神陵とされる場所にあったもので、これを糸萱区にゆずされたことは区にとってもとても名誉なことだったようです。

社殿前を通っていた「直路(すぐじ)」と呼ばれた区の通用路は道路改良と共になくなり、かつて社殿の近くを通っていた道路は国道へ格上げ、社殿のずっと上方を通ることになりました。

諏訪地域の歴史を見つめ続けた精進屋は、今度は山村の暮らしを見守ります。
かつてないほどの速さで変わり続けている人間の暮らしは、神々を見つめ続けてきた社殿にどう映るのでしょうか。
(ふり)

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