八劔神社の夏季大祭 (諏訪市小和田)

2018.06.29 / 人・団体・インタビュー / 編集部さん

この時期、あちこちの村の鎮守様では夏祭りをしています。
地区の人が縁日や屋台を出したりするところもありますが、神事を粛々と執り行うのみのところもあります。
これから来る蒸し暑い季節を健やかに過ごせるように、作物の順調な生育と秋の実りのために祈りをささげる行事です。
カヤで大きな円を作り、その中をくぐることで厄除けを願う「茅の輪くぐり」をする神社もあります。
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通りがかりのこんな張り紙をみつけ、神事の見学に出かけてきました。

昭和16年発行の『八劔神社誌』を開くと、この夏季大祭は準大祭として6月30日。
同日には、12月31日とセットになった大祓大祭が中祭と書かれています。
どんなことをしていたのかは書かれていません。
今は現代の暦に合わせて、6月末~7月初めに執り行われているようです。
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当日。
いつも静かな境内も今日はにぎやかに。
高々と幟が上がり、提灯も取り付けられています。
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拝殿前に揚げられたスタイリッシュな紺色の幟は、「太子講」という建築関係の仕事に携わる人たちの講。
小和田は立川流・大隅流との縁も深い、実は大工さんの村でもあります。

奉納のスポーツ大会や句会が区民により催され、その結果が張り出されています。
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神事の前は奉納こども相撲があり、それはそれはにぎやかなことで、神様もさぞかしおよろこびになったでしょう・

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大総代を始め、地区の重職や団体代表、諏訪市出身の国会議員や県議会議員、そして隣の甲立寺の住職までもが参列し、神事が始まりました。

え?なんでお坊さんがいるのか?

甲立寺は「八劔山甲立寺」といって、八劔神社といわば“ペア”の「別当寺」でした。
神仏習合が盛んにおこなわれた時代、八劔神社の別当として当時の八劔神社とともに高島城付近にあった高島村にありました。
その後、高島城築城が計画されたときに、高島村の人と共に神社も寺も今の場所に移ってきました。
明治の神仏分離令により、その密接な関係性は薄れましたが、交流は今もあるようです。

献饌のあと、本殿の扉を開け、警蹕。
玉串奉奠など通常の神事と同じ手順をたどります。
祝詞を聞いていると、小和田の村の繁栄や人々の健康、豊かな実り、虫害の防除などが織り込まれていることがわかります。

しばらくすると鈴の音がして、昇殿している氏子さんたちのほうから鈴をしゃらしゃらと振る音が聞こえてきます。
そして、宮司さんが神楽殿にいる氏子さんのところまでやってきました。
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いくつもの金金具の帯の先に付けた鈴で、邪気を祓っていのでしょうか。
(境内の端っこでこっそり見ていた私にまで、お鈴で祓ってくださいました。ありがとうございます!)

御扉をとじたあと、撤饌。
滞りなく神事はお納めとなり、関係者のみなさんは斎館で直会となりました。

翌日。
八劔神社の御斎田には幣帛。
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初夏の風が吹き抜け、アオサギが餌をついばむよい場所です。
今年もどうか、たくさんの実りと氏子のみなさんの健康を。

本日はなんと史上最速の関東甲信地方の梅雨明け。
夏も元気に、健やかにお過ごしください。
(ふり)

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