青柳神社(茅野市金沢大池)

2018.03.25 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪湖に流れこむ宮川というを川をさかのぼっていくと、諏訪市内をぬけて茅野市の前宮の付近を通り、西茅野地区を抜けて坂室で狭い谷をぬけて、茅野市金沢の木舟(きぶね)という地区に出ます。

「木舟」という地名は言い伝えによると「昔はここまで諏訪湖の淵があって、船がつけられたから」だそうです。
しかし、今までの研究からみると、ここまで諏訪湖があったことは考えにくいようです。
それでもかつて上川と共に氾濫を繰り返し、今の茅野市宮川地区から上原地区一帯を毎年のように水びたしにしたという暴れ川の一面をもつ宮川。
ここまで船で来られるほど、豊かな水量をもっていた時期もあるかもしれません。

その木舟地区と境を接するのが同じく金沢の大池地区。
宮川に沿って甲州街道が並行し、一里塚跡も残されています。
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現代の甲州街道、つまり国道20号線から外れて宮川の川向こうへ、ちょっと気まぐれに入ってみました。

大池地区は高遠藩や飯田藩が参勤交代につかったという金沢峠の入り口にあります。
つまり甲州街道と伊那谷との分岐点のひとつ、交通の要所です。
そんなところに、おや。
鳥居。
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「青柳神社」とあります。
あおやぎ…といえば、JRの無人駅がここよりもっと東にありますが…
ここ、「青柳」なの?!
んんー…まあとにかく、せっかく目の前に神社があるんだから、ご挨拶してまいりましょう。

参道はきれいに草刈りされています。
頻繁に人が通るようではないけれど、大事にされている印象を受けます。
小高い丘の中腹、尾根の上に、やや大きめの石の祠。
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立派な玉垣に囲まれています。
尾根の向こうは宮川が流れています。

玉垣は地元の人のほかに、東京や千葉、京都の方の名前もあります。
ですが…肝心の御祭神がいったいどなたなのかわかりません。

何は他にヒントはないのかと石祠の周りをうろうろしていると…なんと!
すぐ近くからチェーンソーの音!
地元の地名の入った帽子をかぶって、作業中の男性がいたのです。
こここここ、これはまさに、この方に尋ねよと神様のお導き!!!(?!)

すみませーん!あのー!!!
(おとーさん、私に気づいてくれた、よかった!)
あのっ、このお宮はなんという神様がおられるのですか?

「あー…おれはよくわかんねえけえど、なんだったっけ…ホレ、あれだ、あの奈良の方にあるカワカミ神社ってとこから分家してきたお宮さんだ」

へえー、奈良から?(なんでだろう)
いつ頃からここにお祀りされてるんですか?

「俺にはわからねえけぇど、とにかく古いって聞いたなあ。ここは前のおみやでな、今は、ホレ、小学校んとこに移ったやつだ」

移った?ここから小学校のところに?

「そう。ここは今は地元のもんがおまつりしてるだ。いつごろとか…俺は詳しくねえでわからねえなあ」

玉垣にずいぶん遠くの人が多いようですけど…

「あれはここをきれいにするときに奉納してもらった衆で、みんなココの次男坊やら三男坊だ。出てった衆にも頼んだでなあ」

(はー、ナルホド。)
おとーさん、ありがとう。
小学校の方のお宮も拝見しますね!

へえー。
ここから移ったのかあ。
金沢小学校のあたりは宿場町だったからなあ。
では金沢小学校に行ってみましょ。

青柳神社は小学校の近く、金沢公園の直下にありました。
立派に整えられた鳥居と玉垣。
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奉納者はあの「三平」の小林さんです。
(この小林さん、上社本宮の北参道とか前宮にもどーんと大きな鳥居を奉納されておられます…)

大きなお宮の奥には石祠の本殿。
奇妙にもランダムに菊の紋が取り付けられています。
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よく見るとあちこちに…直径10センチくらいの穴が…
これは…もしかしてキツツキの仕業かもしれません。
ランダムな菊の紋は穴を隠してあるようです。

そしてお宮の傍らには、手書きのシンプルな由緒書きがありました。

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青柳神社の旧地への勧請は鎌倉時代、1235(嘉禎元)年は諏訪氏と鎌倉幕府の関係が非常によく、中央でも勢力があったころです。
「産土山(中山)」というのは、たぶん私が最初に訪問した青柳神社の旧社地でしょう。
勧請されたのは奈良県の川上神社上社の御祭神、高龗神(タカオカミノカミ)とあります。

帰宅してから調べてみました。
「青柳」は金沢宿へ移転する前、ちょうど青柳神社と川をはさんだ対岸辺りにあった青柳宿のことのようです。
今の矢ノ口信号機辺りから北西に延びる道路に沿って宿場が展開していました。

タカオカミノカミは水や雨をつかさどる神さまです。
勧請元の川上神社上社はかつて高龗神社とされていたということでした。
そして龍にも例えられ、15世紀くらいまでは朝廷から篤い崇敬があったようです。

宮川を背景にもつ集落としては水神の性格を持つ神を祀ることはあまり不思議でなことではないと思われます。わざわざ奈良県から勧請するほど宮川の治水が深刻だったことを物語るとも考えられます。
しかし、諏訪の神もこの時代、既に水神としての性格をもち、勧請当時鎌倉幕府の中央近くに進出するほど勢いがあったにもかかわらず、ここへ別の神を勧請することは不思議なことにも思われます。

そしてふと、この大池地区のある隣が「木舟」地区、京都の「貴船神社」の御祭神が高龗神である奇妙な一致にきづきました。
偶然なのか何か意味を持つのか…

これを突き止めるにはちょっと骨が折れそうです…。
(ふり)

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