上諏訪の看板建築 (諏訪市諏訪)

2017.02.12 / 地域を知る / 編集部さん

じゃじゃん。
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前号「suwazine 00 あなたの知らない御柱祭」はいわゆるプロトタイプ。
一年間の沈黙を破って、正式に創刊となりました。

特集は「上諏訪再起動」
開発の動きが見え始めた上諏訪のまちをクローズアップです。
看板建築とか、寺の集まる岡村地区界隈、昭和レトロたっぷりの末広地区、そして今話題のリビセンのことなど、上諏訪の今昔の魅力をこれでもかと詰め込んだオイシイ一冊です。

表紙は昭和3年に建築された「三村貴金属店」の建物。

全景はこちら。
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…そう、アノ映画をみた人は気づくかもしれない。
作中に登場の「中川精肉店」の建物とよく似ています。

この建物があるのは上諏訪駅から徒歩3分もしない国道20号線沿い。
かつては「甲州道中」と呼ばれ、上諏訪宿や高島藩の出先機関「柳口役所」は置かれ、商店や旅館、武士の家などが建ち並んでいました。
世は明治に移り変わり、柳口役所は洋モダンな建物の高島学校に変わり、郵便局ができ、鉄道も通るようになり、町も移り変わっていきます。
そして大正15年4月、御柱祭山出しのまっただ中。
男衆は祭りに出はらい、女衆がまちの留守番中に…なんと火事が起こりました。

江戸時代からの木造建築は春の乾燥した風にあおられ無残にもまちを焼いてしまいました。
飛んで帰ってきた男衆は呆然とするしかなかったでしょう…。
それでも、まちは再建に向けて立ち上がり始めます。

類焼を抑えるために、道路幅を広げました。
そして新しもの好きの諏訪人、当時まだ生糸でうるおった財産で、最新型のおしゃれなまちづくりを始めました。
その名残が今も残る「看板建築」です。

※「看板建築」とは、ざっくり言うと道路に面した表側だけに西洋風のデザインで飾り付けを施した建物のことです。(この裏に回れば、こってこての在来の日本家屋であったりします。)

通り沿いにいくつもある、現存する看板建築の中でとびぬけて凝ったデザインの三村貴金属店、施行は旧岡谷市庁舎も手がけることになる諏訪建築株式会社(現在のスワテック)、設計は同社のの小口氏ですが、デザインについてはどうやら三村家の当主兄弟が深くかかわっているようです。

三村家はこの時代には彫金の仕事をしていましたが、実は立川流大工の血をひく一族。
当主の弟は宮内省のお抱え彫金作家。
芸術家で職人でもあるふたりはきっと、当時の最先端をゆくデザインを知っていたのかもしれません

建物の正面、半円のアーチ、アーチ内の放射状のリブの形は東京駅丸の内駅舎の正面のデザインと非常に似通っていることが知られています。
加えて、看板にはイタリア産の貴重な石材スタトゥアーリオという美しい高級大理石を使い、こだわり抜いた施主の熱が伝わってくるようです。

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通りを代表する建築あれこれ、ぜひ「suwazine」片手に鑑賞なさって見てくださいませ。
詳しくは↓こちらからどうぞ


(ふり)

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