神楽歌

2016.12.29 / 地域を知る / 編集部さん

12月中旬。
諏訪から自動車で2時間半ほど南下して、旧南信濃村と旧上村(共に現在は飯田市)にまたがる遠山郷へ。
目的は「霜月祭り」と呼ばれる湯立(ゆだて)神事です。

「湯立神事」というのは、文字通り湯を沸かして神事をおこなうのですが、この遠山郷では湯を沸かし、そこへ神々をお招きして湯に入ってもらい、おもてなしをしてまたお帰りいただくという祭り。
太陽の力が冬至に向かって弱まり、そしてまた力を取り戻してゆくこの時に、神も人も自然界も清まる、ということを願う祭りでもあるそうです。
少しずつスタイルは違いますが、遠山郷のいくつかの神社で行われています
参考サイト:国重要無形文化財 霜月祭り

諏訪地域においても湯立て神事の記録のある神社はいくつかありますが、そのほとんどが現在では廃れてしまい、「湯立神事」と名が残っていても簡略化された形で実際湯を沸かして神事を行うようなところはないようです。
興味があったのは神楽歌。
神様を呼びおろし、おもてなしするための歌です。
この地域のものはすでに失われた諏訪の神楽歌の流れをくんでいるときいて、ずっと気になっていました。

私が見学に行ったのは旧南信濃村の木沢八幡神社。
到着すると予定より早く神楽が始まっていました。
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この木沢八幡社は土でしっかりと窯を作り、湯釜を三つかけます。
炎があかあかと燃え、場を清め神様をお迎えする道をあけるための「ひよしの神楽」が歌われていました。
ながいながい歌詞があり、同じ節回しで歌います。

私の近くで唄う村人の本を見て、目が釘付けになりました。
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「すわのうみみなそこてらす
こだま(いし?)てにはとれども」

これとよく似た詩を見たことがあります。

それは、『諏訪史料叢書』という本に収録された古い書物。
研究者には「嘉禎三書」とも呼ばれている3つの貴重な史料のうちのひとつで、神楽歌を収録しているとされる1237(嘉禎3)年と記された「祝詞段」には下記のようにあらわされます。

諏方海ミナソコテラスコタマイシ(諏方の海 水底照らす小玉石)
小玉石テニワトルトモソテワヌラサジ(小玉石 手には取るとも袖は濡らさじ)

この霜月祭りが起こったのは定かではありませんが、平安時代終わり~鎌倉時代と言われています。
「祝詞段」の記されたとされる時代と大きく離れてはいません。
現代までの間に遠山郷の神楽歌に変化があった可能性は大いにありますが、いずれかの時代にこの「祝詞段」の歌詞が伝わったことは間違いないのではないかなと思います。
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諏訪から杖突峠を越えて、高遠、大鹿村をぬけ、遠山郷へつづく通称「秋葉街道」は南アルプスの西麓つまりは中央構造線が作る谷に沿っています。
かつての需要な交易路として、ヒトもモノも、そして信仰もこの谷を通っていったのでしょう。
ここよりさらに南にも似たようなスタイルの祭りがあるのだといいます。
諏訪から始まった神楽歌だとしたらどんな物語だったのか
祭りが終わったあと、愚考をつらつらと巡らせて、深夜の谷を北上し諏訪へたどったのでした。

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本年もご高覧賜り誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。(ふりはた)

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