冬至 (茅野市宮川)

2016.12.20 / 地域を知る / 編集部さん

冬至、と言えばカボチャの日。
野菜の乏しくなるこの季節、栄養たっぷりのカボチャを食べて、元気に冬を乗り切ろう…
というオハナシではありません。

残念ながら。

一年で一番、太陽の出ている時間が短くなる日。
そしてこの日を境に米粒一粒ずつほど、日がのびていくことが始まる日。

実りをもたらす太陽の光が再び戻り始めるこの日を、古代の人もきっと特別な思いで迎えたのでしょう。

諏訪大社上社前宮。
本殿に向かう、内御玉殿社と十間廊の間の階段をあがりきり、ほっと一息。
右前方に、大きなケヤキに隠れるように、小さな石祠があります。
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うっかりすると見逃してしまいそうです。

近くには地元の研究者が建てたと思われる案内看板があります。

御室社。
「みむろしゃ」と読みます。
ここはかつて、諏訪信仰の中で特殊神事として非常に重要であった神事が行われていた場所でした。

旧暦12月22日、まさに冬至。
上下桑原村(今の諏訪市四賀地区の一部と上諏訪地区)と栗林郷(今の上川下流域あたり)の村人たちが奉仕して「御室」といわれる竪穴式住居に似ていたとされる建物を作ります。
その中に、童男のみが選ばれ生き神様とされる大祝、神長官以下神職が蛇の形に似たミシャグジと共に籠り「穴巣始(あなすはじめ)」と呼ばれる儀式を始める日なのです。

この日から翌年3月中旬までこの「御室」のなかで数々の神事が行われていたようでした。
12月22日に御左口神を安置、23日に「小へひ」を御室に入れ、25日には「御房」という籠作りの蛇体を模したものを入れ、28日には饗宴、31日早朝には月の数だけ御幣を振り、御燈を葛井神社に送り、元旦には蛙狩り…といった調子でぎっしりと神事が続いていたようでした
そして、「酉の祭」と呼ばれる御頭祭につながっていくのです。

残念ながら、中世ころにはこの神事が廃れ、実態ははっきりわかっていません。
解釈も「大祝の物忌みの期間」とか「豊作を祈る」とか「御室は胎内を表している」とか諸説紛々。
掘り始めるときりがないほどです。

現代では、修祓と献饌と祝詞奏上・玉串奉奠とシンプルな形になっているようですが、大晦日に葛井神社に幣帛を送ったり蛙狩神事は行われているなど、ひとつひとつの神事としてのこっています。

サテ。

大社さんの「穴巣始」はありませんが、こちらは太陽が復活する日をお祝いして茅野市の「かんてんぐら」でイベントがあります。
御用にないかた、こっゆーい縄文トークとアツイ音楽、どうぞご一緒しませんか?、
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