大工(でぇく)のシゴト。 

2016.11.27 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪地域の神社やお寺を巡ってみると、親切にも解説板や案内板があって、その寺社の歴史や建物のことが書いてあったりします。
と、建物の解説によく登場するのが「大隅(おおすみ)流」と「立川(たてかわ)流」。

これはいったいなんぞや。

と、思う人が多いでしょう。

この2つの流派は、江戸時代に端を発する2つの大工集団。
立川流は18世紀後半、ご城下・上諏訪の桶屋に生まれた立川和四郎富棟が、江戸へ修行に出た者の家業をほっぽりだして彫刻家に弟子入り。建築の腕を磨いて帰郷して起こした建築請負業が発端です。

一方、大隅流は古くから藩お抱えの作事方(さくじがた)、つまり今の役所でいえば建設課のようなポジションにいました。
いわば、老舗でトップ技能集団。
天明6(1786)年には高島城の石垣の積みなおし工事は天守閣を吊り上げて石垣を補修するという、現代でも高い技術を要する大工事ですが、これを職人のコーディネートから工事計画を一貫してやってのけたのも大隅流でした。

双方とも建築だけでなく、寺社建築の装飾にために施した彫刻も素晴らしいものでした。
これら彫刻は特別な所に行かなくても諏訪地域あちこちの氏神様にもみることができます。

たとえば、茅野市宮川の坂室社。
大隅流大工の一人、矢崎玖右エ門が手掛けた脇障子という部分です。
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左脇障子 下り龍             右脇障子 上り龍
神仏を守護しするという龍。
竜は水をつかさどります。
踊るようにリズミカルな見事な水煙を伴って、眼を光らせて龍はここを護るのです。
力強い爪の造形も見逃せません。

こちらは諏訪市の手長神社。
木鼻と海老虹梁と呼ばれる部分です。
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うねる龍、木鼻には今にも駆けださんばかりの唐獅子。
もちろんどちらも神仏を守護する異界の生き物です。
黒く見えるのは、昭和29年の火災時の焦げ跡。
よくぞ残って、残してくれたと思います。

じつは手長神社の建築については、立川流と大隅流で一悶着ありました。
この手長神社の建築権は大隅流が持っていましたが、長年の慣例を破って立川流が請け負ったので、なんとトラブルに発展。
6年間の言い争いの末、すぐ近くのお寺・貞松院の住職の仲裁で、立川流が大隅流にお詫びを入れて和解、設計を大隅流、実際の建築を立川流が行うという、結果的に(現代の私からみれば)なんとも贅沢なコラボレーションになったのです。
当事者から見たらきっと非常に不本意なことだったのかもしれませんケレドモ…。

実は我が産土さまも大隅流。
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一年に一度しか公開しない、七社明神社本殿です。
唐獅子に牡丹のゴールデンコンビ。
神仏の守護と共に、縁起物としても彫り付けられます。
※普段は覆屋のなかにすっぽり入っているため、本殿をうかがうことはできません。

ちょうど諏訪市博物館では大隅流をテーマにこんな企画展を平成29年1月9日(日)まで開催しています。
↓クリックすると諏訪市博物館のページがひらきます。

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なかなか下絵が存在しないという、貴重な大隅流棟梁の彫刻の下絵も展示されています。
のびやかであたたかみある表情の下絵は、北斎漫画にも通じるところのあるように思います。

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