ワタクシ的御柱祭振り返り(下社編)

2016.05.30 / 地域を知る / 編集部さん

上社方生まれのワタクシ。
下社御柱祭は実は2回目の体験。
綱打ちを見学したり、夜ごと長持ちの練習が聞こえる様子に、上社方の熱気にも劣らじ!と、期待っ。

【其の一】
秋宮一の柱、山出しの「わなぐり」

「わなぐり」というのは、柱と元綱をつなぐ、大事な部分。
特にしっかり、丈夫に取り付けます。
曳行中にほどけた、取れた、切れた…なんてもってのほか。
大勢の氏子の命をも預かる大事な部分です。

下社御柱祭では進行方向に向かって左は女綱(めづな)、右を男綱(おづな)とします。
地区によっては単純に「男」「女」と略称で呼んだりもします。

山出し時の秋一の柱は、女綱を下諏訪町四王(しのう)地区が、男綱を下諏訪町東山田地区が担当します。

四王地区はワラから縒って作るのがしきたり。
御柱祭を控えた前年には、綱打ち用に長いワラを取るために特別な品種のイネを栽培したりします。
独特の風合いを持った綱が出来上がります。

東山田地区は今回、わなぐりに見事な化粧を施しました。
できあがったわなぐりの上に荒縄を編んで丁寧に巻き付けてあります。
そしてその先につながる元綱は荒縄を縒り綱を打ち、さらにそれで綱を打つという手の込みよう。
規則的な美しさを持つ綱ができあがりました。
その両方をいっぺんに見られた部分がココ!

秋一の柱の巨大さにも注目です。
この柱が動くとき、地面とのこすれる音がまるで大きな生き物が動き出したときのようでした。
【其の二】
秋宮二の柱、春宮境内へ。
秋宮へ行く柱は、すべて春宮の境内へ引き入れ、通過をします。
ところが春宮へ引き込むには、中山道から境内へ、スギの木が林立する急斜面へ柱を落とさなくてはなりません。
これを通称「春宮木落し」とか「春宮ミニ木落し」と呼んでいます。
坂は萩倉集落したの木落し坂に比べたら短いものですが、急傾斜であること、中山道の幅が柱を転回させるには狭いことに加え中山道の高さから1メートルほど高い位置に曳き込み個所があること…と実は木落し坂並に難所であるのです 。
そこへやってきた秋宮二の柱。(担当:上諏訪地区)
予定よりも大幅に曳行が遅れてしまい、既に真っ暗 。
後続には2本も柱が控えています。
ここは何としてでもスムーズに曳行したい。
「上諏訪の衆は夜祭り(よまつり:夜暗くなっても曳行を続けること)が得意だで」というのは、皮肉というよりもスケジュール上毎度そうなってしまうからとのこと。
準備よく提灯も用意されています。
さあ、坂の上では準備が進んでいます。

春宮境内への見事な曳き込みと、緊張感あふれる坂の上の様子をどうぞ。

【其の三】

秋宮四の建御柱
秋宮四の柱は里曳き最終日、どの柱よりも一番遅く秋宮境内にやってきます。
担当するのはお宮さんのお膝元、下諏訪町全町です。
建てる位置は幣拝殿に向かって右側、普段は関係者以外立ち入り禁止の御神域です。
ここには秋宮一の柱の横を通過しないと 建て位置に曳きつけることはできません。

境内にやってきた秋宮四の柱は、先行し建御柱の真っ最中の秋宮一の柱(担当:上諏訪地区)に道を開けてもらう必要があります。
双方応援の木遣りの交換、秋四が通過する間、上諏訪の氏子は建御柱の作業を止め、秋四の木遣りにあわせて「コーレハサンノウエー、よいさ!よいさ!よいさ!」と応援。
御神域への狭い通路をできるだけスムーズに通過できるよう支援します。

そして夕刻近く。
秋宮一の柱は作業を終え、建方のみなさんが片づけにも入ろうというころ、秋宮四の建御柱は佳境を迎えます。
夕闇迫る中、ライトに照らされた御柱。
これが最後と声を振り絞る木遣り衆。
熱のこもった氏子衆の「よいさ!」の掛け声。
そんな熱のこもった視線の先には…なんと。

小型のショベルカーが。

境内の最奥の柱、皆の応援を 一心に受けて、せっせせっせと穴埋めをしています。


ああ、この健気なちっこいショベルカーの姿と、それを取り巻く人の熱気。
こうして更けゆく、下社里曳き最終日なのでした。

駆け抜けた御柱祭。
さあ、今度は各地で小宮祭が待ってますぞ☆

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