ワタクシ的御柱祭振り返り(上社編)

2016.05.26 / 地域を知る / 編集部さん

皆勤賞とは参りませんでしたが、ワタシ史上最多で上下社御柱祭に行ってきました。
熱気にどっぷりハマった日々が嘘のように、まちは平常に戻りつつあります。

というわけで、非常に私的な御柱祭名場面を振り返りたいと思いますっ。

其の一。
上社山出し、前宮二の柱の木落し坂上でのワンシーン!

坂の上ではキレイに美しく、かつ安全に追い掛け綱を張る準備が進められます。
上社の御柱は見事なメドデコがついています。
柱のコントロールのためにも有効ですが、時代と共に立派になりコンロールのためというより見た目の華やかさが勝るようになってきているようです。
ワイヤーを張り、仮固定。
そして追い掛け綱を張りめぐらせ、既に坂へ張りだしている柱とのバランスが取れているのを確認し、ワイヤーを外します。
木遣りを合図に坂下にいる氏子衆と元綱とメド綱係が綱を引っ張ります。
そしてピンと追い掛け綱が張ったの見計らい、素早く追い掛け綱を緩めます。
「おい、そこ!離せ!早く!」
「いったぞ!」
坂の下では歓声と拍手が、坂の上では拍手と共に感嘆の息がみんなから漏れます。

綱の緩んだ、そして柱が坂下に落ちる瞬間をキャッチ!

 

其の二。
お舟。

上社里曳きの初日、御柱屋敷を出発した本宮一の柱を迎えにでる「御柱迎え」の神事でのみ、あらわれます。
この神事は御柱祭のなかでも数少ない大社側が主催となって行う神事。
しかも初日に本宮の神楽殿から斎庭に移動、そして斎庭から本宮一の柱に出会うまで神職、神之原村の山作り衆などで構成される行列にに随行され、そして出会った後はすぐにくるりと本宮斎庭に引き返してしまうのです。
いわばレアキャラ。
タイミングが合わないとみることもかないません。
そして、本宮の四脚門を何かが通るという機会もとっても少ないのです。

こちらは本宮一の柱に出会い、本宮斎庭に戻ってきた「お舟」
黄丁姿の担ぎ手は慣例的に泉野中道地区の氏子が担います。
道中にお賽銭をたっぷり投げ込まれたお舟の重さは相当なもの。
ゆっくり、四脚門をくぐり抜けます。

 

 

其の三
中金子村の旗

建御柱が佳境に入るころ、「中金子村」という白い旗を持った一団があらわれました。
中金子村は諏訪市中洲中金子地区、八立(はちりゅう)神社の氏子たちの村です。
この中金子地区は御柱祭において特殊な役割を持ちます。
古い御柱を曳き倒す「御柱休め」、新しく御柱を建てる穴を掘る「穴掘り」、そして建てた御柱の根元を埋める「穴埋め」、翌日には建てた御柱が倒れたり傾いたりしないように「御柱固め」 と、いくつもの役割があります。

本宮二の柱が今にも垂直に建とうとするころ彼らはやってきました。
白い旗の文字は諏訪大社の北島和孝宮司の揮毫。
熱気あふれる境内も、一瞬キリリと引き締まる中金子村の登場でした。

では、つぎは下社編でおあいしましょう!

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