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手長神社の能舞台 (諏訪市)
上諏訪に生まれ育った人ならなじみ深い手長神社。
鳥居があって、ながーーーーい石段が続いて、その向こうに鳥居。
お宮の姿は下からは見えません。
なんとお手水がわりに温泉。(ここはそんなに熱くないよ)
では参りましょうか、石段昇って。
拝殿まで全部で250段は軽く超える石段。
運動部の生徒たちはトレーニングに今も昔も、この石段を登ります。
おっとととと…。そちらは拝殿。
今日のお目当ては手長神社の能舞台。
これをのぼらず、右に曲がります。
そう、これこれ。
これが能舞台です。
今は境内で行われるお祭りに使われています。
七月たなばたのお祭り「乞巧奠(きっこうてん)」では技芸の上達を祈ってここで音楽や落語が奉納されます。
この能舞台は、最初から手長神社にあったわけではありません。
今の諏訪市角間町で呉服屋を営んでいた白木屋(のちに白作呉服店)が、末広町に所有していた別荘の敷地内にありました。
そこに能舞台が作られたのは大正初期。
個人で能舞台を所有するなど、前代未聞のことでした。
いかに当時の諏訪地方が製糸業で潤っていたかを物がたります。
時はうつり、昭和九年。
当時の当主が手長神社に地域の皆さんのために、と寄進を申し出て、この能舞台は手長神社に移築・奉納されました。
能舞台のあった場所の一帯は、現在こんな建物があります。
これは表側。昭和初期ごろ建築の白作呉服店の建物です。
モダンかつ、てっぺんの段々な造りはほかでもあまり例を見ません。
近代建築好きがわざわざ遠くからこの建物を見に来るほど、魅力的な建物です。
(ちなみに施工は諏訪建築株式会社といって、現・スワテック。)
この真裏に能舞台がありました
真裏は飲食店街。
画像左側の建物をこの細い路地がぐるりと一周囲んでいる不思議なつくりは能舞台があった痕跡なのです。
(か)