びったら橋 (岡谷市)

2015.10.08 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪湖から流れ出る天竜川。
伊那方面への水運の要所として長らく 利用されてきました。
流域の人々に豊穣をもたらす半面、大雨のたびに氾濫し、「暴れ天竜」の異名も持つ川。

その痕跡を残す場所がありました。

現在の岡谷市川岸東地区。
「橋原(はしばら)」というのが古くからの地区名です。
記事中ではこの地区を「橋原」と呼びたいと思います。

さて。
この橋原と川向こうの御倉町(おくらちょう)を結ぶ橋。
その名も橋原橋(山本山、みたいだねえ)。

橋原橋のたもとから東をのぞむ。

長野道(高速道路)
JR中央東線
そして、トラス構造の青い橋、橋原橋
3つの交通機関が交差します

さらにここに「時間」という軸を加えるなら
天竜川と「びったら橋」が加わります。

「びったら橋」というのは、江戸時代末期頃までこの場所にかかっていた仮設の橋で、
雨のたびに増水や反乱を繰り返す天竜川の性質をよく見抜いて作られた橋でした。

橋の解説が、橋原橋のたもとに設置されていました。

河床に点々と置いた石の橋脚の上に板を渡した簡素な橋。
板と橋脚には縄がつけられ、板が簡単に流されないように。
もし板が流されても、またすぐに復旧できるように。
水面ギリギリに設置され、ちょっと水が増えたところへ人がとおると「びたびた」と音がして、着ているものの裾が濡れたのだそうです

天竜川の水の力に単に抗うのではなく、
その力に沿うような形でよく工夫されています 。

記念すべき橋脚は、橋原地区側のたもとに、実物がおいてありました。

草にからまれ、姿がちょっとわかりにくいですが、板もかけられて います。
我らのご先祖の暮らしぶりを語る、貴重な証人の一人です。

このびったら橋、「人と暮らしの伊那谷遺産プロジェクト」 に登録されています。
なんと、最北端物件ですよ!

(か)

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