八劔神社の「虫干し」(諏訪市)

2015.08.09 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪市街地の中の小和田(こわた)地区には古くからのお宮があります。
八劔(やつるぎ)神社といって、創建年は不明、はるか昔は今の高島城のあたりにあったようです。

小和田地区は今の高島城あたりにあった諏訪湖の中の島のような場所、つまりもともと「高島」で暮らしていた人たちの地区です。
その「高島」に八劔神社もあったようです。
八劔神社が今の場所に移ったのは、もともとの領主であった諏訪家が豊臣秀吉によって武州奈良梨(現在の埼玉県)に移され、代わりにやってきた日根野高吉によって「高島」に城を建てるとことになった天正19(1591)年でした。
「高島」の住人は城を建てるために島を明け渡し、八劔神社と甲立寺と共に衣之渡川(えのとがわ)の向こうの扇状地へ、つまり今の小和田地区へ移り住みました。

そんな歴史を持つ八劔神社には、歴史的資料をはじめ数々のお宝が収められています。
8月の初め、その収蔵物を「虫干し」する、というので、見学させてもらいました。

おお、絶好の「虫干し」日和!

会場の大広間には所狭しと収蔵品が並べられていました。

古文書、刀剣、鎧、絵図…。
すごい数。

よそではあまりみかけないこれは「相撲(角刀)人形」 制作年代不明。
この社宝は、14世紀にかかれた「諏訪大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)」 という文書にすでに登場します。

ということは、神社がここに移るまえからあった、とういうことだね。

 

徳川家康の六男で伊達政宗の娘婿、松平忠輝が寄進したという刀架。
これでもかと葵の御紋。
※忠輝は(一応)家康の怒りをかって、諏訪に流されていたのです。お墓は市内の貞松院にあります。

藩主から権祝宛ての文書。
武運長久を祈って八劔神社に土地を寄進する、という文書。

そして八劔神社といえば、「御神渡り」を認定できる唯一のお宮 。
これは「御渡帳(みわたりちょう)」といって、小和田の住人が御神渡りができたかどうか年ごとに記録した文書。
八劔神社から諏訪大社へ報告する前の段階の記録物。
この画像は昭和47年ころの記録らしく、「あさま山荘事件」のことにも触れている。

八劔神社は室町時代にはすでに御神渡りを観察し、諏訪社へ報告することをしていたようで
(途切れた期間はあるものの)世界でも最も長く続けられている気象観測の記録でもあります。

他にも、武田信玄が朱印(龍朱印)をついた文書とか、諏訪湖の漁業権を示した絵図とか、諏訪や歴史を知ることにおいては超一級な資料がたくさんありました。
八劔神社の宮坂宮司様、氏子のみなさま、大変貴重なものをありがとうございました。
(か)

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