熊野神社(下諏訪町)

2020.04.29 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪大社下社春宮あたりから砥川の西一帯は東山田という地区です。
古くは下社の神職「五官」の祝たちの屋敷があり、その流れを組むお宅が今も何軒も暮らしています。
砥川と福沢川が作った南向きの緩やかな扇状地は、今でこそ駅からも国道からもちょっと離れてしまいましたが、水にも恵まれあたたかく暮らしやすい土地であったことは容易に想像がつきます。

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その東山田地区の鎮守は、区内を流れる福沢川を遡った先にありました。
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鬱蒼と茂る社叢林。
石段を上った先に社殿があるようです。

石段を登り始めてほどなく、左側に建物があらわれます。DSC_0886

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「行屋(ぎょうや)」です。
修験道の行者の修行に使われましたが、東山田地区ではかつては公民館の代わりにも利用されていました
近年、下諏訪町の補助金も利用して改修をされましたが、趣はそのままです。
東山田地区は現在でも修験道の講(こう)が活動を続けている、諏訪地区でも稀な地区です。

中は…
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祈祷のための祭壇や法具、両側には不動明王と‥不明瞭ですが僧形の人物を描いた掛け軸が見えます。
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こっちは…お勝手のようです。
奥にはガスコンロが見えますが、手前の自在鉤と囲炉裏は残されたようですね。
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そういえば、建物の隣には、修行のための「滝」が設けられています。
今日は水が止められています。
滝の上には不動明王が。

さて、石段を上り詰めると熊野神社社殿にたどり着きます。
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拝殿には修験道の気配色濃く。
厄除けの幣でしょうか。

本殿は、拝殿の背後の斜面上にあります。
覆い屋に覆われていて、実は正面から本殿を参拝することができません。
隙間から背伸びして本殿をのぞき込みます。
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本殿は大隅流の大工、伊藤長左衛門矩重の作。
安永8(1779)年、諏訪大社下社春宮の幣拝殿を作った直後の作です。
そんな素晴らしい腕前の長左衛門に鎮守の建築に依頼をできたことは、東山田の人たちは非常に誇らしく期待も大きかったことでしょう。
蟇股に配置された迫力ある躍動感あふれる龍の姿に、誰もが魅了されたに違いないのです。

ふと振り返れば…本殿背後に玉垣に囲まれた小さな石祠2基。
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添えられた案内板を読んで小さな石祠に目が釘付けになりました。
左側の石祠は、かつて砥川の右岸にあったとされる下社副祝邸の祝神「若宮社」。
この記事の冒頭の画像の左端に移る石碑の場所にあった石祠だったのです。
何の事情か、ここに明治42(1909)年に遷されてきたのだと記されていました。
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今でこそ、木立が生い茂りましたが、この場所からはかつて、守屋山、赤石山脈最高峰の北岳、そして富士山を拝す場所でもありました。
信仰の重なり合いの姿が今も伝わってくる貴重なお宮です。
(ふり)

※駐車場やトイレなどははありません。
 諏訪大社下社春宮駐車場から徒歩20分程度です。

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