阿弥陀堂のシダレザクラ (茅野市宮川)

2020.04.11 / 地域を知る / 編集部さん

諏訪大社上社前宮の門前は「小町屋(こまちや)」という地区が古くから発達していました。
周囲には「柏手社」ほか、今は小さな石祠ではありますが諏訪社の神事には欠かせない大事な社が点在します。

その、小町屋地区の人が公会所として利用しているのが、前宮から徒歩5分程度の「阿弥陀堂」。
かつては前宮の境内近くにあったようですが、いつの時代からかこの場所に移されたのだと言います。
移された経過は不明なのです。
内部の厨子には阿弥陀如来が安置され、疫病やケガから土地の人が守られるよう祈りを捧げられた場所でした。

その阿弥陀堂前には見事なシダレザクラがあります。

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まるで阿弥陀堂を覆うように、薄紅の天蓋がかかるように。
見事なものです。
あと数日で満開になるでしょう。DSC_0524

このシダレザクラについては、昨年、地区の生き字引きKさんからお話をうかがったことがあります。

このシダレザクラはこの小町屋から山を挟んだ向こう、高遠からやってきたのだそうです。
それはKさんの祖父に当たる、そう、生まれは江戸時代末期くらいの方のお話なのだと前置きがありました。

いつのこととははっきりと語られず、「ふふっ」と濁したまま、話は続きました。

小町屋の若衆たちが峠の方へ山仕事に行き、仕事を終えてひとやすみ。
「峠の向こう、高遠の藤沢の方に綺麗なシダレザクラを作ってるとこがある」
と、そんな話になりました。
若い衆が集まれば気も大きくなるってものです。
若い衆はやいやいと足をのばして、なんと、シダレザクラの苗を何本か持って帰ってきてしまいました。

若い衆たちはめいめいの家の庭や畑に、シダレザクラの苗を植えました。
それはそれは見事な花が咲き、シダレザクラも年ごとに大きくなります。

やがて、太平洋戦争がはじまります。
戦況は芳しくなく、国中が食糧生産に追われます。
家の庭先まで畑にして、なにか食べられるものをつくらなけれなりません。
かつての若衆たちの家や畑に植えられたシダレザクラは、幹も太く日陰を大きく作り、作物を植える場所を奪います。
戦況の悪化と共にシダレザクラは伐られ、畑に変わりました。

そして、村の中で唯一生き残ったのは、この阿弥陀堂のシダレザクラでした。
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今や古樹の風格漂うシダレザクラ。
小ぶりの、やや色の濃い花は、毎年欠かすことなく村に春の訪れと華やぎを運んできたことでしょう。
今も地区の人たちに大切にされています。

今年は遠くにお花見に行くこともままならないのですが、地域の桜をさんぽしながら見つけるにはよいのかもしれません。
※お出かけから戻ったら、石鹸をつけてしっかり手洗いをおねがいしますね。
(ふり)

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