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「湯みち街道」 (茅野市奥蓼科)
こちら、すっかり有名になりました御射鹿池(みしゃかいけ)。
東山魁夷の作品「緑響く」のモチーフとされたことで、たくさんの人が訪れるようになりました。
そうは言っても、冬は人もまばらです。
サテ。
ここまでやってくるのに、お気づきになりましたか?
え?
「何が?」って
道沿いに点々とおられる石仏さまですよ。
ホラ。
こんな風に。おられましたでしょう?
そういえばこんな看板もありましたねえ。
ね?
この道沿いには、御射鹿池の近くの明治温泉と、そのずっと上、八ヶ岳の登山口になっている渋御殿湯まで点々と石仏さまがあるのですよ。
ここ、御射鹿池ができるずっとずっと前からの湯治の道だったのです。
いちばん奥まった渋御殿湯のある「渋温泉」が発見されたのは、8世紀後半だといわれています。
傷によく効くといわれ、武田信玄やその家臣が利用したともいわれます。
そして17世紀初め、高島藩初代藩主に諏訪頼水が就いたとき、この渋温泉は藩直轄の温泉地になりました。
湯治の場として、農閑期には地元の農民も利用していたようです。
しかし、そうは言っても今のように自動車もなければ舗装もされていない山道。
険しい道のりを人足や馬が荷物や湯治客を運び、ぽくぽくとこの寂しい山道を行き来します。
そうした湯治客たちの安全を祈り、見守る存在として、1820年ころ(文政年間、ちょうど異国船が日本にたびたびやってくるころ)にまず渋温泉の観音様が、そして1902年ころに明治温泉への観音様が、それぞれ33体、地元の有志や湯治客らによって街道沿いに建立されました。
同じ名前の観音様でも、石工が異なっていたり、表情も1体1体とても豊かです。
渋温泉十一番准胎観音
明治温泉二十八番聖観音
渋温泉七番如意輪観音
こんな具合にずっとk
え?それぞれ「一番」の観音様はどこにあるのかって?
それはこの「湯みち街道」の起点、笹原公民館前の辻にそれぞれ今もおられます。
明治温泉一番如意輪観音
渋温泉一番観音如意輪観音
車でビュン、と行き過ぎてしまうばかりの道になってしまったけど、そんな人間たちをずっと昔から変わらずに見守る観音様に、ごあいさつもどうぞよろしくお願いします。
(ふり)