鋸と薙鎌 (茅野市)

2020.02.29 / 地域を知る / 編集部さん

鋸(のこぎり)職人のお話をうかがう機会に恵まれました。
職人さんは茅野市玉川山田地区で鋸を作っている両角さん。
作業の一部も見せていただくことができました。
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鋸に刃をつける作業。
熟練した手の動きの素早さにびっくり。
両角さんは高校卒業後、お父様の後を継いで職人になりました。

「諏訪の鋸はよく切れる」と評判になり、全国から買い付けにやってくる時代もありました。
しかし、日本の建物の建築方法や様式が変わったこと、電動工具の普及が進んだこともあり、徐々に需要は減少。
職人さんの数もわずかになりました。

諏訪の鋸生産の始まりは200年以上も前、江戸時代にさかのぼります。
江戸の町で鋸鍛冶をしていた甚九郎が、その腕を買われて高島藩により諏訪に招かれました。
甚九郎は城下で鋸の製造を始めました。
切れ味のよい鋸は評判を呼び、多くの弟子も育てました。
甚九郎が亡くなった後も諏訪の弟子たちは技術を磨き、鋸の製造技術を上げていきました。
そして玉川山田地区にも優れた職人が住みつき、ここでは主に山林用の大鋸の製造をしていました。

 

平成2(1990)年、諏訪大社で文書の整理をしていたところ、「明治17年」という綴りから「北安曇郡小谷村へ差送候薙鎌之図」という図面が発見されました。
「古式に則った神事をしたい」と諏訪大社は、両角さんが所属する山田地区の鋸鍛冶の組合「金山講」に図面通りの薙鎌の作成を依頼しました。
平成4(1992)年、金山講が初めてつくった薙鎌が御柱祭で使われ、その後も制作は続けられています。

しかし、職人は減る一方。
おそらくまもなく途絶えてしまうであろう鋸作りの技術を、薙鎌制作の技術として後世に残せるように、両角さんは地域の若い人を集めて、薙鎌を制作するグループを作りました。

2015年8月、御柱祭の前年に小谷村で行われる「薙鎌打神事」にも、金山講が制作した薙鎌が使われました。
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この時、両角さんはこの神事にも同行し、地元の旅館に伝わっている昔の神事の様子を聴き取るなどの活動もされました。

図面から復元された薙鎌も見せていただきました。
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それまでの薙鎌には頭の部分に刻みがありませんでした。
くちばしも明瞭に割れてはいませんでした。
いずれかの時期に簡略化された理由について「頭の部分の刻みをつくることが技術的に難しかったのではないか」と両角さんは推測します。

次の薙鎌打神事は来年に迫っています。
両角さんは「俺も御柱が好きだで、もちろん行くよ」と張り切っておられています。

両角さんの工場では、他にも御柱を伐り出す御小屋山の管理を担っている山作衆が使う鋸の手入れや制作も担っています。
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この鋸は柄も入れれば全長150センチほど。大きい鋸です。

あのーぅ。
たとえばホームセンターで安く買ったような鋸でも、修理とかお願いできるんですか。

「お客さんから相談されれば、俺ができることなら修理しますよ。安いからとか関係ない、だってそれが俺の仕事だから。」
カラカラとお笑いになるのでした。

まだまだ精力的に仕事をなさる両角さん。
ぜひ、御柱祭でもお会いしたいものです。
(ふり)

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