蓼科湖の歴史

2023.04.11 / 地域を知る / 編集部さん

自然があふれ、澄んだ水をたたえる蓼科湖。

標高1,215mにあるこの池は、蓼科の冷たい水を温め、

灌漑用水として使用するために1952に完工されました。

 

 

稲を育てるためには、田んぼに水を供給しなくてはなりません。

しかし冷涼なここ信州では、冷たすぎる水では稲は育ちません。

「青立ち」と呼ばれる冷害に農民は頭を抱えていました。

 

そのため、蓼科には、蓼科湖をはじめ、白樺湖、御謝鹿池など複数のため池があります。

蓼科湖の水は、堰(せぎ)と呼ばれる用水路に流れます。

滝之湯堰に9割、久保田堰に1割に分水してそれぞれ違う地域に流れていきます。

しかも、水が多い時も少ない時も、いつも必ず正確に9対1の割合で流れていきます。

 

 

なぜそのようなことができるのでしょう。

 

それは円筒分水器と呼ばれる水を上手に分ける仕組みを利用しているからです。

 

 

蓼科湖の湖畔を散歩すると、池のほとりの土手の下にこのようなものが見えます。

これが円筒分水器。

 

池の水がトンネルを通って丸い筒からあふれ出ています。

水圧の差であふれ出た水は、筒から均等に溢れますので、

それを9対1の面積割合で区切って水を分けているのです。

 

 

今蓼科湖は、新しい観光施設や、飲食店、キャンプ場がオープンし

ますます素敵な観光地として人々に親しまれています。

 

しかし周りが変わっても、蓼科湖は変わらず、命をはぐくむ水を静かに届けています。

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